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―「その時歴史が動いた」はどのような番組ですか?
歴史が生まれた瞬間、歴史が動いた瞬間にスポットを当て、それぞれの決定的な瞬間に人々は何を考え、どう動いたのかに迫った番組です。
徹底した現場主義・実証主義を貫いてつくっていたのですが、おかげさまでたくさんの歴史ファンの方々から高い評価をいただくことができました。
―チャンネル銀河での初回放送は近藤勇が主人公で、作家の半藤一利さんをゲストにお迎えしていますよね。
半藤さんには数多くゲスト出演していただきました。毎回、歴史のおもしろさをダイナミックにいきいきと話してくださるので、私もさまざまな場面で歴史を学ぶことができました。
―番組を通して何か発見はありましたか?
いつも思っていたことがふたつあります。
まず、歴史は暗記モノではないということ。年代と数字の無機的な暗記の集積物ではなく、主人公はつねに人間なんです。ひとりの人間が流す涙だったり、汗だったり、血だったり、人間が織りなす一つひとつのドラマが歴史なんです。暗記することよりも、そこから学ぶことが大切ですよね。
それから、歴史は古いものを扱いますが、けっして古くさくないということ。例えば新しい資料が発見されて新しい研究がはじまったり、いままであった資料でも切り口を変えることで、まったく新しい歴史が見えたりもするんです。そのことを強く感じました。

―チャンネル銀河では「その時歴史が動いた」の中から、
幕末から明治にかけてのエピソードを集めて紹介します。
その時代について、どんな印象をお持ちですか?
私たちは学校で、幕末から明治にかけての時代を明治維新と習いますよね。
明治維新というと、そこで全部が革新されて素晴らしい国家が出来上がったという風にとらえがちですが、そうではないんです。
近代文明がどんどん日本に入ってきて、近代化に遅れていた日本は変わらざるをえなかった。
どんな国にすればいいのか、日本人はものすごく悩んだと思います。
平和で穏やかだった江戸時代から、一気に西洋の国々と肩を並べなければいけないわけですから。
細かい話ですが、税金の問題、徴兵制、郵便、鉄道...何から何まですべてが新しい。
そういうものを全部ひっくるめて新しく国をつくっていかなければならない。相当の苦労だったでしょう。
リーダーたちの衝突もあったし、西南戦争のような内乱もありましたが、明治10年ぐらいに国としての方向性が決まった。ほぼ、ですけどね。
国の方向性を一生懸命に考え、目標に向かって国民もいっしょになって動き出して大変革をうまく乗り切ったところが、幕末から明治にかけての時代の素晴らしさだと思います。
司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』でも、みんなで苦労しながら理想に向かって生きる姿が描かれていますが、誇りに思える日本人がたくさんいました。
ただ、途中から大軍事国家へと方向を変えてしまう。はじめから、そこをめざしていたわけじゃなかったと思うんですよ。
日露戦争に勝って、植民地にされる心配もなくなって、日本は軍事国家として大国の仲間入りをした。
そのときにもう一度どういう国にすればいいかということを、みんなできちんと考えなければいけなかったと思うんです。
大日本帝国か小日本国か、2つの方向があったと思うんですが、私は日本の国力とか日本人の性格とかいろいろなことを考えると、小日本国を選んだ方が本当は良かったんじゃないかと思います。
―学校の歴史教育は江戸時代ぐらいで終わるそうですが...
とても残念なことですよね。
近代日本は明治からはじまるわけですが、鎖国を経て日本が国際社会に飛び出していった時代です。
その中で日本という国がどういった考えで、どういった歴史をつくってきたのかを知ることは大事なことですよね。
日本人だけじゃないでしょうか。自分の国の歴史を、特に近代史を知らない国民は。
やはり国際人としては知っておかないと。他の国の人たちは自分の国のことをよく知っていますよ。
世界が身近で、いろいろな国の人と接していかなければならない時代に、自分の国の歴史を知らないのは恥ずかしいことだし、相手からも軽蔑されますよね。
―半藤さんにとって歴史とは?
試験のために年号を暗記することが、歴史の勉強ではありません。
歴史をつくっているのは人間です。人間が歴史をつくると同時に、歴史も人間をつくるんです。
つまり、歴史とは人間学。人間とは、日本人とはどういうものかを学ぶことが歴史なんです。
ですから、「その時歴史が動いた」という番組は、「日本人は何であったのか」を考えるのに、もってこいじゃないかと思うんですよ。
―番組の魅力は、どんなところにありますか?
例えば日露戦争の日本海海戦がテーマだと、戦争の話だと思われる方も多いんですが、この番組はそうではありません。
大国の大艦隊を相手に、いかにして日本人が、どういう苦悩を重ねて、これと向かい合ったのか。
そういった"人間の努力"という部分をテーマに据えています。
歴史はドラマです。人間が主役です。歴史を学ぶことで、人間を学ぶ。
「その時歴史が動いた」では、ぜひ、そこに注目して楽しんで観ていただきたいですね。

―「華の嵐」は「風と共に去りぬ」をモチーフにしたと言われていますが、高木さんが演じられた朝倉柳子はスカーレット・オハラだということで、プレッシャーは感じましたか?
プレッシャーはなかったですね。「ふーん」って感じでした(笑)。
最初、プロデューサーの方にスカーレット・オハラのコピーのように演じてほしいって言われたんです。でも途中からはむしろ、柳子という存在のほうが世の中に認知されていったので、スカーレット・オハラのことは忘れていましたね。
―スカーレット・オハラを忘れさせるほどの柳子ですが、演じてみてどうでしたか?
セリフが昔の言葉使いだったので覚えるのが大変でしたし、独特の格式というのが不思議でしたね。
やはり華族なのであまりにも日常とかけ離れていて、ずいぶん笑っちゃいました。―例えばどんなシーン?
「ごきげんよう」ですね。使ったことがない言葉だったのですごく違和感がありました。ディレクターの方に「恥ずかしくて言えません。カットしてください」って頼んだほどです。
でも、撮影が進むうちにだんだん慣れてきて、普段でもふざけて使っていました。「それじゃ、お昼ですからごきげんよう」って言って、お昼ごはんに出かけたりしていました(笑)。
―放送当時、「ごきげんよう」は若い女性の間ですごく流行しましたよね。
「ごきげんよう」って街で声をかけられることが何度もありました。でもなかなかうまく返事ができなくて、「ああ、どうも」みたいになってしまうんです。そうしたら相手の方に「ごきげんようって言ってください」って頼まれて、「ああ、じゃあ、ごきげんよう」って言ったら「きゃー!」って喜んでいただいて。その時はじめて、みんな「ごきげんよう」が好きなんだってわかりました。
―周りの反響が大きかったんですね。
最初は電車で撮影現場に通っていたのですが、だんだん落ち着いて乗れなくなって、怖くてタクシーに切り替えたこともありました。
それと、一日中撮影だったのでオンエアが観られなくて、台本でしか見ていないシーンがたくさんありました。だから、自分ではそんなにおもしろいドラマなのかどうかもわからなかったんです。周りの方に、「こないだのあの場面がすごく良かったです」って言われても、私たちは撮影でストーリーが先に進んでいますから、「それっていつの話だろう?」って感じでした。
世の中に自分が思っているものとはまったく違う現象が起こっていて、「へー」っておどろくことばかりでしたね。
―撮影現場でのエピソードは?
私と長塚京三さんが、お互い照れ屋でしたね。
長塚さんがご自身の性格とかけ離れている悪い男爵をシリアスに演じた後、「なんちゃってね」とか言ってガス抜きをされるんです。私も「ごきげんよう」とかを連発して言った後はすごく照れくさくて、やっぱり「なんちゃって」とか言って、ふざけて自分を落ち着かせていました(笑)。
―高木さんにとって、「華の嵐」とは?
今でも、当時のファンの方がたくさんいてくださるんです。講演活動とかで地方へよく出かけるんですけど、「華の嵐」を観ていましたって声をかけてくださることも多いんですよ。
私は「華の嵐」に出演したことで、世の中に認知していただきました。とても記念になる思い出の作品ですね。











