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街道をゆく第32話:羽州街道

芭蕉が、「閑さや岩にしみ入蝉の声」と詠んだ立石寺。平安末期まで奥州は、大和の弥生式稲作農耕ではなく縄文以来の採取狩猟の地で、山野を駆け回っていた人々は「夷」(えびす)といわれました。その奥州に、仏教を広めるために平安初期に官寺の立石寺が建てられました。最澄の延暦寺の流れを汲む寺です。羽州街道を南へ、旧米沢藩へ。米沢城は上杉謙信の子、景勝の居城です。上杉藩は秀吉の時代120万石の大大名でしたが、関が原で豊臣方について敗れ、家康によって領地を四分の一に削られました。謙信、景勝父子に仕えた直江兼続は、産業復興、財政改革に奔走。兼続は具足(まえだて)に「愛」の字を付けて「愛民」に尽くしたといわれます。司馬さんは、武家屋敷が貧寒として、垣根に美観のためではなく食用のための「五加木」(うこぎ)が植えられているのに、直江改革の姿勢を見ています。直江は田畑を開き用水路を作りあくまで領民のために尽くしたのです。最上川を見た司馬さんは「狐越街道」から山形市へ。譜代だった山形藩は、藩主が絶えず交代して「植木鉢」のように扱われましたが、逆に領民は自主的に努力。その一つが「最上紅」と知られた紅花栽培です。紅染めの奥ゆかしさに山形の文化の深さを感じた司馬さんでした。

旅程地図

羽州街道 旅程地図

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    羽州街道、佐渡のみ

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