明治維新そして北海道命名150年を迎える2018年 ウエスギ専務が故郷・北海道の歴史を辿る壮大な旅へ!

創立60周年を迎える札幌テレビ放送(STV)と開局10周年を迎えるチャンネル銀河のコラボレーション企画として、ブギウギ専務の新シリーズがスタート!

旅のテーマは幕末・維新期の偉人たちの「銅像」。北海道に建てられた銅像の人物たちのルーツを探るべく、出生地やゆかりの地など全国各地を巡る。そこでは知ってるようで知らなかった人物像や功績、悲運の最期など意外な事実が次々と明らかに。もちろん行ったからにはその土地のグルメや観光も楽しんじゃう、お堅い教養番組とは一味違う「ブギウギ流」歴史探訪バラエティ企画。

ブギウギ専務とは・・・

架空のPR会社「(有)上杉ポンプ商会」を舞台に、ウエスギ専務(上杉周大)おおち係長(ダイノジ・大地洋輔)が、北海道の森羅万象に過酷な体当たりで挑む札幌テレビの大人気バラエティ番組。
あまりの馬鹿馬鹿しさと、そこはかとない哀愁が幅広い視聴者のハートをつかみ、“北海道で専務と言えばブギウギ専務”と言われるほどの人気を博している。

動画

幕末維新の英雄たち

第1シリーズ 札幌開拓の父 島 義勇(しま・よしたけ)

佐賀藩士で、「佐賀の七賢人」の一人に数えられる。藩主・鍋島直正の命により、安政3~4(1856~1857)年に蝦夷地・樺太を調査。明治2(1869)年に蝦夷地が北海道となり開拓使が置かれると、藩主・鍋島が初代長官に就き、島は開拓使判官に就任。札幌に「五州第一の都」(世界一の都)を造るという壮大な構想の下、北の地を発展させた。その後、志半ばで解任された島は、明治天皇の侍従や秋田県の初代県令(知事)を歴任。故郷である佐賀へ戻ると、明治7(1874)年に佐賀の乱の首謀者として江藤新平とともに斬首となった。現在も「判官さま」と呼ばれ、北海道神宮では毎年慰霊祭が行われるほど道民にとって特別な存在である。

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第2シリーズ 函館に散った新選組“鬼の副長” 土方 歳三(ひじかた・としぞう)

文久3 (1863) 年、近藤勇ら試衛館の仲間とともに幕府浪士組として上洛し、後に新選組を結成。新選組の鉄の結束を誇る礎となった局中法度を作り、剣豪揃いの隊士からも「鬼の副長」と恐れられた。慶応4 (1868) 年、鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争が勃発。局長・近藤勇を失いながらも戦い続ける土方は、会津戦争を経て榎本武揚の旧幕府艦隊と合流。その後、箱館に渡航し五稜郭を占領する。二股口の戦いでは指揮官として二度にわたる大軍の猛攻をくいとめるも、箱館に総攻撃をしかけた新政府軍との戦いの最中、銃弾に倒れた。享年35歳。

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なぜ銅像が函館に!? 坂本 龍馬(さかもと・りょうま)

土佐藩を脱藩後、勝海舟との出会いをきっかけに国際的視野に立った日本の未来像を描くようになる。慶応1(1865)年には、日本初の貿易会社である「亀山社中(後の海援隊)」を設立。その後、対立関係にあった薩摩藩と長州藩を引き合わせ「薩長同盟」を成立させた。慶応3(1867)年、龍馬が倒幕後の新政府案である「船中八策」を考案すると、これが土佐藩を通じて幕府に建白され、徳川慶喜は「大政奉還」による政権返上を決断した。幕府と倒幕派の武力衝突を回避することに成功した龍馬であったが、同年11月15日に京都・近江屋で中岡慎太郎とともに暗殺される。そんな龍馬が蝦夷地開拓を夢見ていたことは、あまり知られていない。

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『ブギウギ専務 ブギウギ銅像見聞録 ~幕末維新英雄伝~』(C)STV

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