イサベル~波乱のスペイン女王~

時代背景

イサベル1世とは

カスティーリャ女王(在位:1474-1504年)。
父のカスティーリャ王フアン2世の死後に王位を継いだ異母兄エンリケ4世によって、母・弟と共に追放され、不遇な少女時代を過ごす。その後、王位継承権問題に国が揺れ動く中、弟のアルフォンソが死去。イサベルはポルトガルへ嫁がされる予定であったが、国の利益を主張し、地中海の領海権をもつアラゴン王国の王子フェルナンドと結婚する。1474年、エンリケ4世の死去により、イサベルはフェルナンドと共にカスティーリャ王に即位。1479年にフェルナンドがアラゴン王位を継承したことで、カスティーリャ王国とアラゴン王国が統合され、スペイン王国が誕生した。その後、グラナダ陥落により約800年に及んだレコンキスタを完成させ、ローマ教皇から夫と共に「カトリック両王」の称号を授けられた。また、コロンブスを援助し、1492年の新大陸発見に貢献したことでも知られている。

15世紀頃のイベリア半島

【カスティーリャ王国】

イベリア半島の北西部に生まれたレオン王国から別れ、10世紀に成立。レコンキスタ運動の中心勢力として次第にイベリア半島中部に進出し、1035年にフェルナンド1世のもとで王国となると、1037年にはレオン王国との同君連合国家となり「カスティーリャ・レオン王国」と称した。その後、1143年には西南部のポルトガルが分離するなど、分離・統合がくりかえされたが、13世紀には最も強大となって、1212年にはナバス=デ=トロサの戦いでイスラム残存勢力を撃破した。1230年にはレオン王国を完全に併合し、さらに1236年にコルドバを奪った。イサベルと夫フェルナドが共同で王位に就いた際、アラゴン王国とカスティーリャ王国は統合され、スペイン王国となる。

【アラゴン王国】

イベリア半島北東部、現在のスペインのアラゴン州に存在した王国。レコンキスタの進展と共に強大な力を持つようになった。当時、地中海に対し、絶大な影響力を持った国だったが、カスティーリャ王国との統合後、地中海に対する影響力が徐々に弱まり、その結果、オスマン帝国の地中海進出のきっかけを与えてしまう。

【レコンキスタ】

イスラム教勢力がイベリア半島で支配力を持っていた時代に行われた、キリスト教国による再征服活動の総称。718年から1492年まで、約800年近く続いた。カスティーリャ王国とアラゴン王国の統合により成立したスペイン王国がグラナダ王国を制圧。これにより、レコンキスタは終焉を迎える。

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