皇后の記 ロイヤルロマンス 世紀の三角関係

©The Great Wall film and television

時代背景

孝荘文皇后とは?

清朝の2代皇帝・ホンタイジの妃であり、3代皇帝・順治帝(じゅんちてい)の母。孫の4代皇帝・康熙帝(こうきてい)まで3代にわたり清朝を支えた女性として知られる。ホンタイジの死後、長男ホーゲと異母弟ドルゴンの後継者争いが起こると、清朝分裂の危機を説き、当時6歳だった自身の子であるフリンを3代皇帝・順治帝として即位させたと伝えられる。その後、ドルゴンが幼い皇帝を補佐する摂政王となったことで、清は中華統一を成し遂げた。一説では、ホンタイジの死後にドルゴンへ嫁いだとされている。

中国最後の王朝”清”

明にかわって中国を支配した満州族による王朝。中国東北地方においてヌルハチが女真を統一して後金を建国、その後を継いだホンタイジが1636年に国号を清、民族名を満州と改めた。順治帝の1644年に明の将軍・呉三桂(ごさんけい)の協力によって北京に入城し中国を支配すると、17〜18世紀の康熙帝・雍正帝(ようせいてい)・乾隆帝(けんりゅうてい)の時代に支配領域を拡大し、ほぼ現在の中国にあたる版図を築く。しかし、19世紀中頃から列強の圧力を受けて半植民地化が進み、辛亥革命により1912年に滅亡した。

中国歴史ドラマ年表

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『皇后の記』©The Great Wall film and television

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