オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~

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時代背景

オスマン帝国

14~20世紀初頭まで存在した、現在のトルコ共和国アナトリア地方に建国されたイスラム教の大帝国。
アナトリアからバルカン半島、地中海にも進出し、領土を拡大。15世紀中頃にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅亡させ、第10代皇帝スレイマンが治める16世紀に最盛期を迎える。帝国の躍進は「オスマンの衝撃」と呼ばれ、西欧キリスト教世界に大きな脅威を与えた。
しかし、17世紀末からヨーロッパ諸国の侵攻、アラブ諸民族の自立などによって領土を縮小させ、次第に衰退。19世紀に近代化をめざす改革に失敗すると、挽回を図った第一次世界大戦では同盟国側に加わって敗北。1922年、トルコ革命によって600年あまり続いたオスマン帝国は滅亡した。

オスマン帝国の 勢力図

第10代皇帝スレイマン

オスマン帝国の第10代皇帝(在位:1520-1566年)。
数多くの軍事的成功を収め、オスマン帝国を最盛期に導いた人物。英語では「壮麗帝(The Magnificent)」と称され、日本ではその偉大さから「スレイマン大帝」の名で呼ばれることが多い。トルコでは法典を編纂し、帝国の制度を整備したことから「立法帝(Kanuni)」とも呼ばれている。
若くして帝国の支配者となったスレイマンは、1521年にベオグラードを占領、翌年には聖ヨハネ騎士団を駆逐してロードス島を陥落させた。1526年にモハーチの戦いに勝利してハンガリーに進出すると、1529年には第一次ウィーン包囲を敢行しヨーロッパの人々を恐怖に陥れる。さらに、1538年にプレヴェザの海戦でキリスト教徒の連合艦隊を破り、地中海の制海権をも掌握した。こうした領土の拡大だけでなく、イスタンブールのモスク建設など、帝国の文化的発展にも大きく貢献した。

オスマン帝国のハレム

オスマン帝国のハレム(後宮)は極めて大規模なもので、その数は最盛期には1,000人を越えたとされている。捕虜や奴隷として宮廷に献上された女性たちは、礼儀や作法、手仕事、音楽、文学と幅広い教養を身につけ、一定の教育段階に進んで初めて、皇帝への直接の奉仕が許された。
ハレムには皇帝の母である母后(ヴァーリデ・スルタン)を頂点に、皇帝の寵愛による序列が存在していた。ヒュッレムがハレムに入った時、母后についで大きな権力を持っていたのが皇子ムスタファを産んだ皇帝妃マヒデブランである。しかし、ヒュッレムはすぐにスレイマンの寵愛を受けて男児を出産し、ライバルたちの嫉妬を浴びながら瞬く間にハーセキ(皇帝の子を儲けた寵妃)となる。さらに、オスマン帝国の慣習を破り、スレイマンとの間に複数の子をもうけると、はては当時としては異例の婚姻関係を結び、正式な妻の地位にまで上り詰めた。

ハレム 序列階級
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「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~」©Tims Productions

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