三国志 Three Kingdoms

用語集

名言・ことわざ

美女連環の計(びじょれんかんのけい)

後漢の高官・王允が、侍女で絶世の美女の貂蝉を用いて行った計略。王允は呂布と貂蝉の結婚を許しておきながら、貂蝉を董卓に献上、嫉妬に狂った呂布は養父である董卓を殺してしまう。

単騎、千里を走る

曹操に敗れ、劉備の妻子を連れてやむなく投降した関羽が、曹操の誘いを断り、劉備のもとへ帰還するという、忠義にあつい関羽の最も感動的なエピソード。

天下三分の計

曹操の脅威に対抗するため、諸葛亮が劉備に進言した策。劉備が荊州を支配することで、天下を曹操、孫権、劉備の三人の均等した力で支配することを理想とした。

死せる孔明生ける仲達を走らす

戦中に蜀の諸葛亮(孔明)が病死。その機に攻めてきた司馬懿(仲達)に対して、蜀軍は諸葛亮の木像を担ぎ出し、司馬懿を退去させた逸話。死の間際に残した諸葛亮の最後の策略。現在は、生前の威光が死後も残り、人々を畏怖させることを意味することわざ。

桃園の誓い

劉備・関羽・張飛が桃園で義兄弟の契りを交わした逸話。「我ら三人、生まれた年、生まれた月、生まれた日は違えども!願わくば同年同月同日に死せん!」と誓ったエピソード。

三顧の礼

劉備が、諸葛亮を軍師として迎えるため、三度も訪問し、その誠意を示した逸話から、才能のある人物を得るために、地位の高い人物が何回も訪問し礼を尽くして迎え入れることを意味する。

泣いて馬謖(ばしょく)を斬る

諸葛亮が魏と戦ったとき、腹心の部下だった馬謖が命令に背き大敗を喫した。孔明は軍法に従い、涙を流して馬謖を斬罪にしたことから、規律を守るには、私情を捨てなければならないことを意味する。

戦い

官渡(かんと)の戦い

西暦200年、黄河流域の中原の覇権をかけた有名な戦い。ドラマでは黄河を挟み、北の袁紹70万と、南の曹操7万が対峙。圧倒的な兵力差にも関わらず、袁紹の失策が重なり、曹操の大勝に終わる。

漢中(かんちゅう)の戦い

西暦213~219年、中国南西部の盆地・漢中をめぐる、劉備と曹操の一連の争い。定軍山では、蜀の老将・黄忠が、魏の猛将・夏侯淵を破る。この勝利で、劉備は蜀の基盤となる漢中を奪うことが出来た。

夷陵(いりょう)の戦い

西暦222年、関羽、張飛を立て続けに失った劉備は、趙雲や諸葛亮のいさめも聞かず、怒りに任せ大軍を率いて呉に進軍し、夷陵の城に追い詰める。しかし、呉の若き武将・陸遜の策に大敗を喫する。

五丈原(ごじょうげん)の戦い

西暦234年、北伐を再開した諸葛亮は、五丈原で魏の司馬懿と対峙するが病死。やむをえず撤退する蜀軍を追撃する司馬懿に、諸葛亮の最後の策が講じられ、蜀軍は壊滅を免れた。「死せる孔明生ける仲達を走らす」の由来となる戦い。

赤壁(せきへき)の戦い

西暦208年、南下する曹操の大軍を、孫権・劉備同盟軍が長江のほとりの赤壁で迎え撃った、三国志で最も有名な戦い。呉の周瑜、蜀の諸葛亮が、数々の策略を駆使して、曹操の大軍を見事に打ち破る。

樊城(はんじょう)の戦い・麦城(ばくじょう)の戦い

西暦219年、劉備の義弟・関羽が、魏の曹仁の守る樊城を攻め、援軍にきた大軍をも、水攻めにし、あと一歩のところまで追い詰める。そんな中、関羽の支配地である荊州が、呉の呂蒙に攻められ、やむなく関羽は麦城に敗走し死亡した。

街亭(がいてい)の戦い

西暦228年、劉備亡きあと意思を継ぎ、魏に北伐を開始した諸葛亮は、要所である街亭を、信頼する馬謖に守らせるも、命令に背いて敗走。結果、全軍撤退を招く。「泣いて馬謖を斬る」の由来となる戦い。

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